セカンドーオピニオン(2018-03-30修正)

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こんばんは。李哲です。

 

去年、患者さんがつらいのに、検査で「正常です」と言われたら、すぐほかの治療院に行きなさい!を書いたことがあります。このような経験がある方は少なくないと思います。

 

今日は、違うパタンの話をします。

 

本人は、どこもつらくないのに病気ですと言われたとき。

 

現在、テクノロジの発達で細かい検査が進んでいます。

分子レベルで検査ができます。

 

しかし、これは病気の正確な判断に役に立つかどうか?

皆さんはどう思うか分かりませんが、私は疑問があります。

 

機械はいくら精密になっても、

思考能力がないいろんな部品の組み立てです。

 

人間みたいに関係ない要素を排除したり、

考えて分析することができません。

 

今の病院にいくと検査が多いのは、

みんな断片的なところしか分析できないからです。

 

ここで、問題がいろいろ生じます。

 

一つ目。

 

断片的なもので全体を図ることはできないのです。

判断が間違える可能性が高いのです。

 

たとえ話ですが、血液は体の30%しか占めてません。

残りの70%は水分。

 

それなのに、よく血液検査で診断を下します。

皆さんはこれが合理的なものだと思いますか?

 

株主のたとえ話をすると、水分のほうが圧倒的に発言権があるのに、血液に任せるのはどういうこと?

 

二つ目。

 

検査機械の数値が同じだとしても、見る先生によって判断が違うかも知れません。(これは、私が中国の病院で研修するときに経験したことがあります。)

 

だから、同じ病院で検査するのではなくて、

ほかの病院も行ってみたほうがいいです。

 

3個所行って、みんな同じ診断だったら認めます。

でも、3個所とも違う判断だったらあなたは誰を信じますか?

 

三つ目。

 

病気が回復に向かってるかどうか?

これは、検査数値の判断ではなくて患者の感覚です。

 

例えば夜よく眠れるようになった。

小便、大便が出るようになった。

ご飯が美味しく感じた……など。

 

検査数値がよくなっても、患者のよくなった感覚がなかったら、結局は治療の失敗になります。

 

中国語で『病治了、人死了』の言葉があります。

意味は:病気は治った(数値が正常になった)。

でも、患者は死んだ。

 

ブラックユーモアですが、

現実によく起きていることです。

 

病院関係の人は、特に私の話の意味が分かるはず。